痩身ってホント大変

神戸店を再開し、ほつとしたと同時に今度はものすごい不安が押し寄せてきました。今回の被害は神戸のひとつのサロンだけでした。もし大阪で大地震があり、多くの店が崩壊したら私は社員を守り切れるだろうか、お客様にお金をお返しできるだろうか、そう考えたら怖くなりました。私は社員を集め、「責任ある会社として危険を分散したい」と話し、九五年九月には東京・渋谷に、関東1号店をオープンしました。この渋谷店は2カ月もしない間にお客様でいっぱいになり、新宿、池袋と次々にサロンをオープンできました。大阪でオープンして12年が経っていましたが、大阪の店長達を東京に送りましたので大阪は管理者不足になりました。東京でもオープンが続き、慢性的に人手不足でした。東京に来ますと、お客様達は技術やサービスを誉めて下さいます。また「こんな値段でいいの?」「この3倍はとれるよ」とおっしゃって下さいました。東京というところは人がたくさんいて、大阪と比べると商売がしやすいところです。大阪では少ない人口の中で、納得してお金を使ってもらおうとすると大変な努力が必要でした。ですから、私には苦労してお金儲けをするということが染みついていました。東京にサロンを出して13年になり、私も今は東京中心に活動していますが、もう少し落ち着いたら、また大阪に帰ろうかと思っています。お客様に一生懸命に接することやサービスのマインドが低下しているのではないかと、思う時があるからです。切磋琢磨して自分に厳しく仕事をしていかないと、他社に追い越されます。私達の仕事はサービス業ですから、お客様に好かれることを一生懸命にやらないと、いつか飽きられてしまいます。

 

大阪のお客様達は手を抜かない一生懸命さを敏感に感じ取り、良ければ多くの売り上げを下さり、悪ければ何が悪いと怒って下さいます。分かりやすいので改善も早くできるのです。
八二年に「やせる専門店シェイプアツプハウス」をオープンしましたが、二〇〇〇年にお店の名前を「ミスパリ」に改名しました。長く通って頂いているお客様とお話している時に聞いた、「シェイプアップハウスという名前は、私達には可愛すぎるようになったわね」という言葉がきっかけでした。また、その頃のシエイプアツプハウスは多くのお客様の要望から痩身だけでなく、美顔や脱毛、リラクゼーションなど、幅広い施術を行う総合エステティツクサロンになっていたこともあります。昔聞いた男性達の身勝手な話に、「料理を作らせたら中国人、結婚するなら日本人、恋人にするならフランス人」というものがありました。Ю年も20年も通って下さる大切なお客様達を「いくつになっても恋人にしたくなるチャーミングな女性にしよう」と思って「ミスパリ」と決めました。