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ニキビ跡をファンデで隠す日々

ニキビをファンでで隠すのはあまりよろしくない

さて、外国人を仰天させた鼻の吹き出物と剃り眉でしたが、もう一つ、日本と西洋とで大きく違う化粧法がありました。それはベースメイク。西洋人は「ほとんど素顔に見えるような薄化粧」だったと前に書きましたが、これはどういうものかというと、せいぜい肌色の粉厚いファンデをパフでパタパタとはたくだけ。

 

土ないこれに比べ、日本人のベースメイクは非常に凝ったものでした。水厚いファンデや練厚いファンデを、まず平たい榊毛‐で肌にのばし、次に丸い刷毛で肌にたたき込み、さらに水を含ませた別の刷毛でぬぐって余分な厚いファンデを落とす、という大変に手間ひまかかるもの。西洋人のメイクが「厚いファンデを肌表面にのせる」ものとすれば、日本人のそれは「厚いファンデを肌のキメに入れ込む」という感じです。また、ファンデーションの濃淡に関しても神経を使うものでした。西洋ではすでにこの頃さまざまな色の厚いファンデがあったので、女性は自分の肌色に合う厚いファンデを選んでただつけるだけでしたが、日本では当時、ファンデーションといえば、呼んで字のごとく、白一色のみ。でも、だからといつて、日本の化粧が貧しかったと思ってはいけません。白い厚いファンデは、濃く重ねれば真っ白になるし、薄く塗れば(あるいは塗った後からぬぐえば)地肌の色が透けて淡いベージユにもなる。塗り方の濃淡でハイライト効果やシエーデイング効果を出して、微妙な変化をつけていたのが日本のベースメイクだったのです。そんな厚いファンデメイクの中でも特にこだわつていたのが、襟元の美しさでした。着物というフアッションでは、美人に見えるカギは襟。これがまた、手間ひまかかるものでした。襟化粧は顔よりも濃く厚いファンデを塗るのが美しいとされていたので、顔用と襟用とカバーカ物漣う厚いファンデを2種類用意し、刷毛もそれぞれ専用のものを使います。そして塗る時の格好は、当然もろ肌脱ぎの状態です。ぬれた刷毛でうなじや胸元に、水で溶いた練厚いファンデや水厚いファンデを塗っていくのですから、考えるだけで冬など寒気がしてきそう。でも、そんなことでめげるようではおしやれなんてできません。現代の私たちは、つい正面顔だけきれいにしていればそれで満足しがちですが、音の日本女性たちは、耳もうなじも胸元も、三百六十度どこから見られてもきれいであるよう、手抜かりなくお化粧していたのです。中村福助の鉛中毒事件そして、この厚いファンデメイクヘのこだわりから、大変な騒ぎが起こります。厚いファンデに含まれていた鉛による中毒事件です。以前から、ファンデーションのヘビーユーザーである歌舞伎役者たちの間では、毎日使う厚いファンデが体に悪いとの噂はありましたが、明治2。年、中村福助の中毒事件をきっかけに、ついに社会問題となりました。ニキビが悪化の最中に足の震えがとまらなくなり、抱えられるようにして舞台から退場したという、当代一の人気女形福助の話は、鉛厚いファンデの恐怖を世間の人々に知らしめることとなったのです。そして明治3。年代中頃には、女学生に校則でファンデーションを禁止すべきか否かで論争が巻き起こります。厚いファンデを塗るべきか、塗らざるべきか。先の山脇学園の校長先生の、「女学生がファンデーションもつけないのはケシカラン」という談話は、実はこのファンデーション論争の中で出されたものだったのですが、これは単に、「女の嗜みとして厚いファンデはつけましょう」などというものではなく、ファンデーションは毒と知りつつ、それでもなお、女のたしなみのほうを重要視していた、ということです。みずはらすいこう同じく、ファンデーションを女学生の必需品とする自然派化粧品のコメントです。

 

ニキビを隠すにはBBクリームもオススメ化も

厚いファンデをつけなければ女学生は野蛮人になる、と憂い、さらにこう続けています。厚いファンデには、鉛毒の交じりてあるには相違なかるべし。しかしながら、従来世上一統にファンデーションを用ゐたる女子等が、悉く鉛毒にあたりたるにも非ず(略)教師と家庭と相侯ちて、淫風に流るヽをいましめ高尚に導かば、厚いファンデそれ何の害があるべき同厚いファンデに害があるのは確かだとしても、皆が皆、中毒になるというわけではないだろう。教育的指導をきちんとすれば、厚いファンデには害などない、というのです。このような意見が教育界で論じられるなんて、今日ではとても考えられないことですが、明治の価値観は、現代とはかなり違います。毒と知ってもやめられない新聞や雑誌はこぞって、厚いファンデをめぐる是非を論じました。「鉛厚いファンデは毒である」「いや、それでも女子の美術を捨てるまじ」さて、 一般の消費者たちはそれをどう受け取ったでしょうか。結論をいいましよう。厚いファンデはまったく廃れませんでした。現代なら、BSE (牛海綿状脳症)や0‐157発生の時がそうであつたように、何か製品に問題が見つかるとすぐに消費者離れが起こるのが普通ですが、明治時代の鉛厚いファンデは、害が騒がれても使われ続けたのです。しかも、他に選択肢がなかったわけではありません。

神戸店を再開し、ほつとしたと同時に今度はものすごい不安が押し寄せてきました。今回の被害は神戸のひとつのサロンだけでした。もし大阪で大地震があり、多くの店が崩壊したら私は社員を守り切れるだろうか、お客様にお金をお返しできるだろうか、そう考えたら怖くなりました。私は社員を集め、「責任ある会社として危険を分散したい」と話し、九五年九月には東京・渋谷に、関東1号店をオープンしました。この渋谷店は2カ月もしない間にお客様でいっぱいになり、新宿、池袋と次々にサロンをオープンできました。大阪でオープンして12年が経っていましたが、大阪の店長達を東京に送りましたので大阪は管理者不足になりました。東京でもオープンが続き、慢性的に人手不足でした。東京に来ますと、お客様達は技術やサービスを誉めて下さいます。また「こんな値段でいいの?」「この3倍はとれるよ」とおっしゃって下さいました。東京というところは人がたくさんいて、大阪と比べると商売がしやすいところです。大阪では少ない人口の中で、納得してお金を使ってもらおうとすると大変な努力が必要でした。ですから、私には苦労してお金儲けをするということが染みついていました。東京にサロンを出して13年になり、私も今は東京中心に活動していますが、もう少し落ち着いたら、また大阪に帰ろうかと思っています。お客様に一生懸命に接することやサービスのマインドが低下しているのではないかと、思う時があるからです。切磋琢磨して自分に厳しく仕事をしていかないと、他社に追い越されます。私達の仕事はサービス業ですから、お客様に好かれることを一生懸命にやらないと、いつか飽きられてしまいます。

 

大阪のお客様達は手を抜かない一生懸命さを敏感に感じ取り、良ければ多くの売り上げを下さり、悪ければ何が悪いと怒って下さいます。分かりやすいので改善も早くできるのです。
八二年に「やせる専門店シェイプアツプハウス」をオープンしましたが、二〇〇〇年にお店の名前を「ミスパリ」に改名しました。長く通って頂いているお客様とお話している時に聞いた、「シェイプアップハウスという名前は、私達には可愛すぎるようになったわね」という言葉がきっかけでした。また、その頃のシエイプアツプハウスは多くのお客様の要望から痩身だけでなく、美顔や脱毛、リラクゼーションなど、幅広い施術を行う総合エステティツクサロンになっていたこともあります。昔聞いた男性達の身勝手な話に、「料理を作らせたら中国人、結婚するなら日本人、恋人にするならフランス人」というものがありました。Ю年も20年も通って下さる大切なお客様達を「いくつになっても恋人にしたくなるチャーミングな女性にしよう」と思って「ミスパリ」と決めました。

続きを読む≫ 2013/10/20 16:41:20

近年、女性の社会進出が目覚ましく、スーツを着て颯爽と歩く女性達が増えました。「男は外に出ると7人の敵がいる」と言いますが、「女は17人の敵がいる」と私は思っています。まだまだ日本は男社会で、外に出ると女性はやはり適当にあしらわれることが多い。そのような中で女性が頑張ろうとすると、ついつい顔も言葉も態度もきつくなりがちです。これは女性が120%頑張り、無理をしているのです。これが今の日本の働く女性達の現状なのです。その張り詰めた緊張を優しく解いてあげて、可愛い女性に戻してあげるのが、ミスパリの仕事です。そして、私は男も女も美しさはその人の持つ能力の一つと考えています。頑張る女性達をミスパリで美しくチャーミングに仕上げ、磨き上げ、仕事にもプライベートにも自信を持って華やかな人生を歩んでほしいと願っています。「ミスパリ」が誕生する4、5年前、副社長が「大学生を採用しよう―」と言い出しました。その時代に大学を卒業した人達の中でエステテイシャンになろうと考えている人はいませんでした。

 

 

しかし、エグゼクテイブが集まるサロンで働くエステティシャンは大学で身に付けた知識や教養を生かせる仕事です。ですから、大学にも求人を出そうということになり、大学の就職課へ行ってみると、「うちの大学からエステティックの会社には学生を送れません」とけんもほろろに断られたこともありました。東京での大学生の説明会に18人もの申し込みがあったと聞き、大阪から副社長と店長と人事の三人が勇んで出掛けると、思い切って借りたホテルの会場に一人の学生も来なかったこともあります。何回目かの説明会でやっと一人だけ来てくれたかと思えば、その一橋大学の学生は会社を間違えてやって来ていた、なんていうこともありました。世の中に認められない新しい職種の悔しさをいやというほど味わいました。しかし、人のやらないことをやるのが当社の社風ですから、その後も懲りずに大学生の採用活動を行いました。入社してくる大学生は年々一人二人と増えていき、それから14年経ちましたが、今では社員の70%が大卒者です。お金もなく、歴史もなかったエステティックの会社が大学生の採用を始めたのですから、人事担当者の熱意と心意気に感じるものがあったのでしょう。平成二〇年度、リクルートの大学生人気企業ランキングでは、サービス業1万700社中シェイプアップハウスは20位にランキングされるまでになりました。

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〇八年は2500人の面接をして150人を採用しました。倍率は約17倍というかなりの狭き門になってきています。当社では、今まで大卒者をエステティシャンとして育成してきましたが、大卒者は将来、営業・サロン管理などの幹部として活躍してほしいと考えています。最近はエステティックを教える専門学校が増えてきました。大学全入時代と言われるようになった今、大卒と専門学校卒の差が小さくなってきています。しっかりと手を掛けて教育された専門学生の中には将来鮮やかに輝くであろうと思われる人材が少なくありません。今後は大卒採用の基準が更に上がっていくだろうと考えられます。スパ・グストハウスをオープンシエイプアップハウスがオープンして23年後の〇五年九月十日、「スパ・グストハウス」が大阪にオープンしました。「一生通いたい」「もっとリラックスしたい」「個室がいい」「我侭に過ごしたい」「リッチな気分を味わいたい」「もっと気楽に通いたい」という、ダンディハウスやミスパリのお客様の声から生まれたサロンです。そこで、ダンデイハウスやミスパリに長年通って下さっているお客様が、例えば車椅子を使われるようなお歳になっても利用できるように、このグストハウスはバリアフリーにしました。以前から、人の心と体を預かるサロンの中で、20代の若者と、70代のシニアが一緒に並んで施術を受けることは少し辛いものがあるように感じていました。

 

 

人によってはあまりにも生命のリズムが違いすぎて、お客様をイライラさせたり、急がせたり、疲れさせてしまっているのではないかと思うことも度々ありました。ダンディハウスやミスパリはお客様の理想を叶えるサロンです。お客様がなりたい自分になれるように、技術や指導法をシステム化し、その効果や安全性が信頼の高い研究機関で検証されることによって、私達は自信とプライドをもってお客様をきれいにすることができるようになりました。その分、お客様には様々なお約束やお願い事があります。エステティシャンはできるだけお客様が辛く感じないよう、楽しく通えるよう、やる気を維持してもらえるよう、心理学を応用した様々な接客法や指導法を行ないながら、サロンヘの通い方、食事の制限、ホームケアなどのお願いやお約束をします。このようにエステティックはあらゆる面で進化し、ダンデイハウスやミスパリは日本はもちろん、世界でも最先端の効果が実証されている技術や指導法で運営されているのです。

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ゲストハウスはそれとは違って、お客様に癒しやリラクゼーションを提供することをコンセプトに、免疫力を高め、健康で快適な人生を送ることを提案し続けます。そして、それによって優しく豊かな人間作りに貢献することをグストハウスは目指しています。ゲストハウスは、世界でも最上級のスパとして、決してお客様の期待を裏切らない場所であり続けられるよう、スタッフは海外でも話題のスパを体験し、どこにも負けないサービスを維持しています。このグストハウスは最近、企業のVIPの接待に使われることも多くなってきました。お酒や食事の接待はカロリー制限をしている人には半分迷惑ですし、ゴルフ接待は時間が長くかかります。グストハウスなら、ご夫婦ともに喜んで頂けます。気持ちがよく、健康にもいい、また美しくもなれるということで喜ばない人はいないので、大変好評です。スパコンビネーションと呼ばれる、ボディとフエイシャルを両方やる技術は3万円以上もしますが、そのチケットを100枚ずつ購入する企業もある程です。二〇〇六年から始まった、ミスパリエステティックスクールのマスターコースは、ゲストハウスで働くスパセラビストをイメージして作られたコースであり、ゲストハウスのほとんどのスタッフはミスパリエステティックスクールのマスターコースを卒業した人達です。全員がある程度の英語を話し、海外からのお客様にも対応できるようになっています。マスターコースもゲストハウスと一緒に成長しながら、メイドインジャパンのエステティツクにこだわっていきたいのです。マスターコースは、二〇一〇年度よリコース名を、スパセラビスト学科とし、さらにバージョンアツプしていきます。

 

ミスパリの前身であるシェイプアツプハウスは、オープン当時になぜ痩身の専門店にしたのかといえば、その時豪華な設備の総合エステティックサロンをオープンする資金がなかったからでした。自分の能力や資金力に見合い、 一番興味のあった痩身に特化したサロンを作ったことが始まりでした。サロンの立地や内装をお客様に我慢して頂く代わりに私達が差し上げられるもの、笑顔や気遣いや丁寧な技術をお客様に提供しました。その後、お客様の要望でサロンが増え、美顔や脱毛のメニューが増えました。多くのお客様に支持して頂き、いい業者さんに恵まれ、質の高い社員が働くようになり、豪華なサロンができていきました。

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最初のオープンから20年以上が経ち、何かが足りないような気がしてきました。サロンが少し寂しく感じられました。なんだかサロンも社員も上品になりすぎて、お客様も社員も思っていることを国に出せないようなサロンになっているのではないかと心配になってきたのです。そして、二〇〇五年に「やせる専門店ミヽスパリダイエットセンター」をオープンしました。23年前の初心に戻り、痩せることに一直線のやせる専門店を作ったのです。また、私がその年の夏に身を切られるような体験をしたことも理由の一つでした。当時、16歳の娘に拒食症の傾向がありました。私は娘と一緒にカウンセリングを受けました。家庭環境に問題があったのか、過度のプレッシャーを与えているのではないか、日標が高すぎるために一番身近な体重という数字目標をクリアすることでまわりに認めてもらおうとしているのではないか……。私は悩みました。そして、カウンセリングに通いながら、娘を総合エステティックサロンのミスパリに通わせることにしました。ミスパリは18歳以上の女性が通うサロンですが、無理を言って通わせてもらつたのです。「正しいダイエットを教えてあげて」とスタツフに頼みました。スタッフの「かしこまりました」という言葉に、今までの緊張が緩み、私は救われる思いがしました。現代の若い人達は、素直で一途ないい子達が多いと思います。しかし色々なことに対して幅広い応用が効きにくく、何事にも一生懸命過ぎて視野が狭くなってしまい、ダイエットもやりすぎて、美しさや健康、心の豊かさをなくしてしまう人達が多いように思います。

 

私は自分と同じような辛い思いをしている母親達のために、十代の子供達にも対応できるダイエツトセンターを作りたいと思ったのです。たくさん食べさせて、たくさん運動をさせて、たくさん笑って、たくさん勉強もする。頭も体も育ち盛りの子供達に、正しいダイエットが指導できることを願っています。もちろん、ダイエツトセンターは子供達だけでなく、美しく健康的に痩せたいと願う全ての女性達の場所です。ダイエットのプロとして、栄養学やスポーツ科学、心理学などを身に付けたダイエットカウンセラー達が、優しく、明るく、元気よく、日標達成を手伝いながら、体重に囚われすぎないタフで健康的な体を作っていきます。また、あらゆる人に対応するために、センター、スポーツジム、宿泊施設、食品、機器などのダイエットに関するさまざまな開発も今後も行っていく予定です。ダイエツトセンターの最終目的は、痩せたいと願う多くの人達が利用できるように低料金で通えるシステムを編み出すことです。料金を安くするということは、ものすごい数のお客様に来てもらわなければなりません。そのことを頭において、日本中にファンを増やそうとしています。

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